NHKスペシャルで、生活保護の特集が組まれていた。先の記事でホームレスが歌う賛美歌の話を書いたところであるが、公園の路上生活者は生活保護さえも貰えないということなのか?路上生活者は、食を乞うてはいないので、先の記事で乞食と表現したことは謝罪したい。ほんまもんの乞食は、生活保護を濫用する連中であるということが良く解った。大阪市の税収の17%が生活保護に使われているという。
数日前、ある市営の病院で働く友人の医者と喋っていた時、その病院には夜に救急車で風邪を見て貰うために生活保護受給者が殺到すると聞いた。救急車をタクシー代わりにするという。若い生活保護受給世帯も多いと聞いた。生活保護受給者は勿論医療費は無料である。病院は、生活保護者には多めに薬を処方すると聞いた。
そして今日のNHKスペシャルでは、テレビ番組としてはかなり踏み込んでおり、社会問題に詳しい人以外にも生活保護濫用の実態の一部分を映し出してくれた物だと思っている。本日の番組においては、外国人の生活保護受給者の実態、在日の人達と生活保護、そして部落問題。そして、それらの利権などについては触れられていなかったのは残念であった。生活保護が勤労可能な人達にまで支給されるようになった経緯には触れられていない。長田区役所襲撃事件などの名前すら出てこなかった。大阪にも、生活保護が簡単に受給できる区とそうではない区があったり、生活保護は役人のさじ加減一つである場合もあるという。四国や中国地方で、生活保護を受けようと役所にいくと、大阪の新今宮までの切符を貰えると言う、笑うに笑えない話まである。
政府はどのような取り組みをしているのであろうか?大阪市は生活保護受給プログラムの問題を解決させるために、さらに多くのプログラムを立ち上げている。生活保護を止めさせて、勤労させれば、生涯で数千万円の違いがある、というのは理解できる。それならば、プログラム自体を止めれば良い話しだ。今後は、孤児育成制度や障碍者基金など、別の形で生活保護にがいとうするような形にするべきである。勤労世帯が生活保護を貰えるのは、部落や在日問題の利権を持つ団体がごねた結果であり、条件が役人の匙加減で決定するような失敗政策が罷り通ってる事のほうが可笑しい。
生活保護政策では病院や薬局が儲かる。政府は色々なプログラムを作ることが出来て、権益を増やすことができる。受給者はプライドを捨てなければ行けないものの、働くことなく、それなりに利益を得る。しかし、そのツケを誰が払っているのかは良く考えなければいけない。納税者の意見は置いて行かれたままだ。
生活保護は全面的に廃止するべきだと思う。公平さの観点から、アメリカのように食料以外は買うことができない、フードスタンプを発行すればいいだけの話だと思う。家賃、電車代、貸しスーツ代など、現物配給でいいと思う。生活保護世帯の医療費が無料だなどという話しは、とち狂っている。障碍者など、働く能力を欠く人達については、役人が匙加減できない公平なプログラムを作るべきだろう。
政治家は、納税者の味方をしてくれているのか?答えは「否」である。「生活保護の廃止」などという政策は、ノイジーマイノリティー(在日朝鮮人の各種団体、部落解放連盟、医師会、ヤクザ)の琴線に触れるため、政治家は言い出したくない。大多数の納税者は、生活保護が一部の人間の利権になっている事を知らない。そして、本当に生活保護を必要としている社会的弱者も存在している。こう言った状況下で、生活保護の廃止を言い出すことは、政治生命の終わりを意味してしまうからだ。
では、どうすればいいのか?どうしようもない。野田政権は、増税について、消費税増税を選択肢から消し去り、所得税や法人税で歳出を賄うことを宣言している。つまり、働いてまじめに税金を納める人のお金を分配しようと言う事である。私は、消費税(あるいは付加価値税)こそが、公平な財源だと思っている。まじめな人達が税金を納め、ゴキブリたちが利権を貪る。そして、生活保護廃止といった議論さえままならない。日本は非常に平和な国である。
雨が降り続くシアトルに住むブログ主が、カプチーノを飲みながら、時事・経済・政治・食・スポーツ等について社会科学的見地から騙ります。広告のクリックをする事、宜しくお願いします!
9/17/2011
9/16/2011
乞食達の賛美歌
311の地震の後、初めて日本に降り立ったわけだが、ここは大阪であり、被災地に来ている訳でもないので、地震の爪痕は全く見て取れない。相変わらず大阪は景気も悪いが、地震のせいでさらに景気が冷え込んだのかどうかは不明である。市内では意外と大掛かりな建設工事が増えており「ハコモノ」を増産している。
街はというと、小奇麗に新設された場所(JR大阪駅など)に人々が集まっているものの、お金を落としている風には見えない。一方で、昔に賑やかだった場所などで、閑古鳥が鳴いている場所が多く見受けられた。新しい建築物を建てると、少し古くなった商業施設は陳腐化されてしまう。新たな建設はパイを大きくするのではなく、他のパイを食っているだけなのだろう。マーケットが飽和するというのはこういう事を言うのであろう。
新らしい施設に入ると、レストランだけが流行っている。服や高価な物を買う人はいないが、散歩がてらに新しい場所にやって来て、レストランで食事だけ済ますというありがちのパターンだろう。レストランは強気の値段設定をしているし、小奇麗なショッピングセンターにありがちな見た目だけ美味しそうではあるが、実質は安物の食べ物が2000円ほどで出されている。しかし阪急沿線のサバーバン(郊外)に住み、贅沢な雰囲気を楽しむために態々着飾ったマダム達は、2000円を出し惜しみしない。味は不味くなければ良いのだ。雰囲気を楽しみたいのだ。
一方で、私が世界一のランチが食べれると太鼓判を押す北新地には、寒風が吹き荒れていた。サラリーマンの数がますます減り、観光客のような人達が超豪華な1000円ランチを楽しんでいる。割烹やフレンチなど、北新地には最低でも20件ほど紹介したい店があるのだが、当サイトは真剣な食ブログではないので、敢えて記事にはしていない。JR大阪駅での2000円代で食べる見栄えだけのランチ。そして北新地で供されている1000円代で世界一のクオリティを保ったランチ。それでも若者は350円の弁当を追い求める社会の流れ。
大阪の街を歩く。昔流行っていた個人経営の零細飲み屋や食堂は、どんどん潰れている。若者の服装はどんどん貧乏臭くなっている。風俗嬢と一緒に手を繋いでホテルに行く人達をやたらと見かける。寧ろ、道行く若い女の子達が総て水商売従事者に見えてしまう。
公園で面白い光景を見た。基督教のボランティアの人が拡声器を持って、ホームレスを集めて賛美歌を歌っていたのだ。四、五十人にも及ぶ乞食達が賛美歌を歌っている。異様な光景に、不覚にも私はその場に呆然と立ち尽くしてしまった。
「慈しみ深き、友なるイエスは、変わらぬ愛もて、導き給う。世の友吾等を、棄て去る時も、祈りに応えて、労わり給わん。」
ホームレス達が飼っているのか、そこには猫が一杯いた。周りのベンチには専門学校にでも通っている若者たちがコンビニの小さな弁当を頬ばんでいる。2011年の9月の暑い日の昼下がり、自分が生まれ育った大阪で目にしている光景は、私が知る日本の物ではなかった。
街はというと、小奇麗に新設された場所(JR大阪駅など)に人々が集まっているものの、お金を落としている風には見えない。一方で、昔に賑やかだった場所などで、閑古鳥が鳴いている場所が多く見受けられた。新しい建築物を建てると、少し古くなった商業施設は陳腐化されてしまう。新たな建設はパイを大きくするのではなく、他のパイを食っているだけなのだろう。マーケットが飽和するというのはこういう事を言うのであろう。
新らしい施設に入ると、レストランだけが流行っている。服や高価な物を買う人はいないが、散歩がてらに新しい場所にやって来て、レストランで食事だけ済ますというありがちのパターンだろう。レストランは強気の値段設定をしているし、小奇麗なショッピングセンターにありがちな見た目だけ美味しそうではあるが、実質は安物の食べ物が2000円ほどで出されている。しかし阪急沿線のサバーバン(郊外)に住み、贅沢な雰囲気を楽しむために態々着飾ったマダム達は、2000円を出し惜しみしない。味は不味くなければ良いのだ。雰囲気を楽しみたいのだ。
一方で、私が世界一のランチが食べれると太鼓判を押す北新地には、寒風が吹き荒れていた。サラリーマンの数がますます減り、観光客のような人達が超豪華な1000円ランチを楽しんでいる。割烹やフレンチなど、北新地には最低でも20件ほど紹介したい店があるのだが、当サイトは真剣な食ブログではないので、敢えて記事にはしていない。JR大阪駅での2000円代で食べる見栄えだけのランチ。そして北新地で供されている1000円代で世界一のクオリティを保ったランチ。それでも若者は350円の弁当を追い求める社会の流れ。
大阪の街を歩く。昔流行っていた個人経営の零細飲み屋や食堂は、どんどん潰れている。若者の服装はどんどん貧乏臭くなっている。風俗嬢と一緒に手を繋いでホテルに行く人達をやたらと見かける。寧ろ、道行く若い女の子達が総て水商売従事者に見えてしまう。
公園で面白い光景を見た。基督教のボランティアの人が拡声器を持って、ホームレスを集めて賛美歌を歌っていたのだ。四、五十人にも及ぶ乞食達が賛美歌を歌っている。異様な光景に、不覚にも私はその場に呆然と立ち尽くしてしまった。
「慈しみ深き、友なるイエスは、変わらぬ愛もて、導き給う。世の友吾等を、棄て去る時も、祈りに応えて、労わり給わん。」
ホームレス達が飼っているのか、そこには猫が一杯いた。周りのベンチには専門学校にでも通っている若者たちがコンビニの小さな弁当を頬ばんでいる。2011年の9月の暑い日の昼下がり、自分が生まれ育った大阪で目にしている光景は、私が知る日本の物ではなかった。
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