最近、言葉遣いで面白い指摘を受けた。メールに返答した「了解いたしました。」という言葉に対して、「了解」という言葉が失礼だという見解を聞いた。「かしこまりました」などを用いるべきだというのである。
「了解」は、理解したという意味の漢語表現であり、その語に失礼も糞もない。現在中国語でも了解は普通の動詞として使われている。「了解!」という使い方が口語的に良く使われすぎるという問題があるそうだが、頻繁に使われる語であるほど、日常性が高く、誰にでも理解できるのだから、人とのコミュニケーションでは逆に多用するべきだと私は考える。了解という頻繁に使われる漢語に、致しますという丁寧表現をつけた「了解いたしました」は完璧な敬語である。
日本語の敬語において、卑屈になりすぎる表現が多くなっているな、と感じる。卑屈な表現は相手との立場をこじらせる可能性があるため、二重敬語などは用いないというルールがある。承知いたしました、などというのは、承知という言葉そのものが謙譲的な感覚から派生した和製表現であり、漢語には無い言葉である。「承知いたしました」は文法的な正誤云々ではなく、くどい卑屈な言葉だと感じるので、敢えて使う際は「承知しました」で使っている。が、「了解しました」か「了解いたしました」の方が、日常で使う言葉を選んでいるという視点から、寧ろコミュニケーションの原則を踏んだ王道だと思う。
私は出来るだけ卑屈な表現を避け、丁寧さ以上の敬語にならないように細心の注意を払っている。
言語学を理解しないマナー講師とかの話を聞いて、サラリーマンの間で卑屈な表現が多くなっているきらいがある。仕事が出来ない下っ端の人たちに、卑屈な表現を使う人たちが特に多い。霞ヶ関からのメールで、名前の下に「xx拝」とか書いている奴を見た時くらい、どこまで「奴隷根性」だと思うのだ。そういう奴は大抵出世できない。そういうメールを見れば、無意識のうちに、私はその相手を自分よりも下に位置すると見下している。卑屈な敬語を使いたがる人は、相手に「嘗められている」と実感するべきだ。そもそも、卑屈な表現が好きな人とは周波数が合わないので、そういった連中とはミニマルなコミュニケーションを心掛けている。
私は今後も堂々と「了解いたしました」という表現を使う。それに対して違和感を感じる人は、別に私とメールして頂かなくて結構である。
特殊な日本語を使わず、簡易でありふれた日常の言葉を使い、必要最低限の敬語の尾ひれだけをつける。これこそがビジネスコミュニケーションのあるべき姿だとおもう。そもそも、丁寧さはあくまでもコンテクストの問題であり、言葉の選び方のルールに話を落とし込もうとしている人たちの頭が悪いのである。マナー講師たちには、日本語の表現に関して、中国語との関係や、古語からの成り立ち、あるいは方言や文化的な多様性も含め、もう少しきちんと勉強してから声をあげて欲しいと思う。