昨今推し進められている改革の一つに教育も含められていることは皆さんご存知だろう。教育基本法の改革が進められているし、国立大学は独立行政法人に変えられた。マクロ経済の理論では、短期や中期の成長は利率や政府の支出などのテクニックである程度操作できるものの、長期的な経済成長は技術革新と人材の能力を上げることでしか成し得ないとされる。技術革新も人材の能力も、根本的には教育が齎すものである。つまり、将来の日本が成長を続けるためには、王道など無く、地道に人々に適切な教育をするしかないのである。故に、教育は国家の長期的な政策として最も大切なものであり、逆に、教育問題を語る際には長期的な経済成長がゴールとなることを認識するべきだ。
昨今の国レベルでの教育改革の討論の内容を聞いていると、ゆとり教育の弊害、学級崩壊、いじめ・自殺など、初等教育において現場で実際に起こっている問題ばかりが取り上げられている。勿論、多くの人にとって、これらの問題は生々しいものであり、関心が高いことは頷けるが、このような問題を国が解決するべきかどうかという点で納得がいかない。第一に、教育基本法を改正した程度でこれらの問題が全て解決するわけがない。時代遅れの法を改正することは当たり前だが、それに高望みはできない。さらに、改正に何らかのイデオロジーを持って反対し、この問題を遅延させるのは理解に苦しむ行動だ。第二に、いじめなどは、どんなに金を掛けて、どんなに素晴らしい法律を作ろうが、絶対になくならない。いじめや自殺を無くすために教育改革を訴えている人がいるとしたら、全く馬鹿げている。いじめや自殺を防ぐのは社会全体のシステムを変えなければどうしようもなく、教育が口出しできる範囲は狭い。また、国家が現場のいじめを防ぐことなど出来ないので、これは現場の問題なのだ。第三に、無理な話だが、仮に国が大量のお金や時間を割いて、公立小学校の学級崩壊を完全に防いだとしよう。一体それでどれだけの成果が得られるのか?学級崩壊が無くなれば不景気は消え、雇用は増えるのか?ニートが本当に減るのか?
教育問題を話し合っている人達におかしな人達が混じっているのは看過できない。教育の専門家は、教育理論のみを研究しているのか、宗教がかった事ばかりを喋っている。個々の価値を尊ぶ、云々、哲学やイデオロギーを流布する必要などない。大学で研究する人間であれば、何をすればどのような影響があるのかという事実だけを科学的に述べればよい。日本の大学で研究する教育専門家の多くが科学的手法を理解していないので、評論家紛いの仕事しか出来ないのが現状なのだろう。ノーベル賞を受賞した人なども教育改革基本法改正の委員会に入っていたが、研究だけに没頭して失敗からたまたま大発見をしたような、宝くじに当たっただけの、教育に関しては全くの素人の意見を尊重するのもどうかと思う。塾がいらない?そんなことは国の法律に記載されることではない。
いずれにしても、初等教育改革がごく簡単であると思うのは私だけか?国や県の権限を抑え、現場に教育の権限を与えて、自由な学校づくりをさせればいいのではないか。NPOや地域コミュニティー、或いは企業が積極的に初等教育に関われるようなシステム作りをすれば良い。そして、校長などに教師の雇用の権限すら与え、県や自治体に校長の雇用の権限を与えればよい。そして、一部の偏った勢力や人間に教育現場を乗っ取られないようにするためのセーフティーネットを法律で制定すれば良いのである。それが現時点の公教育の範囲を逸脱していると言うのであれば、公教育の定義を変えればいい。
問題がとても簡単なので、初等教育ついては誰でも強い意見を持っているものだ。そして、どうすれば教育が良くなるのか、皆意見が違う。一番大事なのは、それらの意見に基づいて、慎重な実験を行い、どのオプションは機能するのか、どのオプションは機能しないのかということを誰かが調べるべきなのだ。意見だけで法律や指針を変えようとしているからおかしな事になっているのだ。意見はあくまでも意見で、政策は事実に基づかなければいけない。教育に柔軟性を持たせれば、国が出来る初等教育の問題は完結する。そして、後は現場レベルの問題となるのだ。
では、誰が実験するのか?それは、教育学者や社会学者がするべきだ。日本では、あまたの数の社会学者が余って燻っており、それらの人達を活用しない手は無い。法律を制定する立場の人達が、NPOや大学を使って、自由に科学的な知見を集積できれば素晴らしいと思う。それらの科学的知見に基づいて、変えるべき所は変えていけばよい。何も、素人のノーベル賞学者を連れてきて、意見を述べさせる必要などないのだ。法律改正では、党や個人や組織などが、まともな研究が出来るNPOや大学などに研究資金を直接払う事を可能にするような法律を制定する必要がある。
ただ、前述したが、そして今後も討論するが、科学的見識のない、一つの分野の知識だけが優れた似非科学者が日本に多いのも事実である。それこそが、日本の教育の本当の課題だと思う。大学がきっちりと教育しなければ、これらのNPOを率いていく人材が育たない。大学がまともな教育を受けた人材を世に送れば、まともなNPOなどが増え、社会が高度に知的な方向に動き、教育の意味が実感できるようになると考える。このあたりの事を、次の回では討論したい。
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